物理を含む自然科学には様々な量が出てきます.質量や,速さ,気圧などは日常生活 でも耳にしているのではないでしょうか?その中でも大きさ [*] だけを持つものを スカラーと言います.例えば物理の諸量で言えば 質量,電荷,〜定数,〜(ベクトル)の大きさ,〜エネルギーの量,等に出てきます.で もスカラーだけでは表せない量が物理では出てきます.その代表格が位置,速度,加速 度,力です.なぜスカラーだけでは表せないかというと,後者の量は“向き”を指定して あげないと何を表しているのやらわからないからです.そして,向きと量を両方あわせ 持つ量をベクトルと言います.
まず位置について考えて見ましょう.以下の図を見ていただくと から見た の位置が ただ単に“ ”では場所はわかりませんよね?“東”に“ ”,“北”に “ ”と表記しないとわかりません(正確に言うと一意的でない).ここで気付か れた方もいるでしょうか?前者と後者の違いは向き付きの量であるか否かと言うこと です.つまり平面内で位置を表すには必ず二組の向きと量が必要なのです.
この地図に「建物の7階」と言う表記を加えたらもう1つ向きつきの量が必要となること が容易に予想できると思います.今度は三組の向きと量が必要です.ここでなんとなく 予想したくなります.n次元の位置を表すにはn組の量が必要なんです.
では速度について考えてみますとやはり向きがかなり重要になりますよね.京都からいく ら速く移動することが出来ても,東京に行くのに九州方面に向かうのはかなり無意味(地 球を一周すれば別ですが…)になってしまいます.
加速度はちょっとイメージしづらいので力で考えて見ましょう.いきなり「 と の力が働くと物体はどうなる?」といった問が無意味なことは以上の文章 を読んでくれば簡単に予想できると思います.そうです,向きの指定が足りないんです. 以下の図を見ればこの後物体がどちらに動くのかは力の働く向きによって全然違ってくる ことが予想できると思います.
高校の数学のテキストを見てみると「ベクトルとは有向線分である」と書いてあります.こ こで言う「有向」とは「方向が有る」と言うことです.つまり向きつきの線分と言うことです ね.線分が決まれば同時に長さ(≒スカラー)も与えられたことになるので僕の主張ともず れていません.またベクトル(vector)の語源はvehicle [†] と同じでvehicleは輸送,車両 ,運搬といった意味です.この意味だと位置を表すイメージに一番近いかと思います.この 考え方は後々和の順序が交換可能なことに関連してきます.
ベクトルは“有向”であるために図形的に表現するときは上記の図のように矢印で表します そして,矢印の根元を始点,先っぽを終点と言います.
[*] | 「大きさ」とは一般には正のものを指しますがここでは適当な日本語がないため負も 含む実数全体の事を指しています.通常は数,若しくは実数のことを指しますが, ベクトルと対比させたいときにスカラーと呼ぶようです.スカラーの語源はscale のようで,ものさし等ではかれる普通の数といった意味に非常に近いと思います. また,発音記号を見ると分かるとおり,“スケイラー”と発音した方がより近いです. |
[†] | vectorという言葉は,1843年にHamiltonがラテン語のvectumから作った造語ですが,vectum とは運ぶもの,という意味です.更に遡ると,サンスクリット語で女神の乗り物を意味 するヴァーハナと同根のようです.また,日本語で発音を表記する際に正確には“ベクター” の方が近いです.生物学でベクター(綴りも一緒)と言えば遺伝子運搬因子の事を指し,病理学 で言えば病原菌媒介生物のことを指します. |
これより下で と言う文字が出てきたらそれはその文字 の定義のことを言っています.
では,具体的な表記について触れてみましょう.ここはいわゆる書き方のお約束なので気 楽に読んでください.ベクトルの名前は基本的に矢印1つに付き1つつけます.つまり平行 移動して重なれば(向きと大きさが一致)それは同じベクトルと考えるのです.
先ず,高校までには点AからBに向かう矢印を などと書きま した.しかし大学以降は,基本的にボールド(太字ですね)で表します.例えば「点OからA に向かうベクトルを とします.」などと書きます.
ベクトルで表せる量は上で述べてきたように様々な量が表せます.その中でも視覚的に 納得しやすい位置を表す位置ベクトルを例に挙げて解説したいと思います.
先ず三次元で位置を表すには最低三つの量が必要です.その量は正確には種々の座標を 用いて表すことができますが,中学校から慣れ親しんでいる 座標で表せる平面に 垂直に 軸を足した 座標を用いて表すことを考えます.座標とは自然界に もともとあるものではなく人工的に作ったものですから,その軸の正方向の向きを指定 (定義)してあげなければいけません.そこで大抵は右手座標系(右手系)なるものを用います. 右手座標系とは右手の親指,人差し指,中指を互いに直角にしたときに,親指,人差し指, 中指の順に 軸を各々対応させている座標系のことです. [‡] 左手にこの ルールを適用させたものを左手系と呼びますが,右手系と左手系を試しに重ね合わせよう とすると,どう頑張っても重なりあわないので名前を付けて区別しているのです.以下, 右手座標系のみを扱います.
空間でその位置を一意的に指定したい場合,基準となる点(原点 )を決め,そこからの 変位量を各軸に関して指定してあげれば良いのでその量を誤解しない限り座標軸と同じ文字 で表します.例えば以下の図5の点 であればその場所を と表します.
位置ベクトルとはその点を表すために各成分を一組にしたものを1つと数えたもので, 物理では一般的に の位置ベクトル(その点を一般的に表すベクトル)を で表すこと [§] が多いようです.具体的に表記すると次のようになります.
ここで をベクトルの絶対値と言います.つまり このベクトルの長さですね.その由来は次図の通りです.二乗和をとっているので 各成分の正負にかかわらず,この式で表現できます.
主に位置をベクトルで表す際先っぽ,つまり終点と位置を表す座標がそろうように描き ます
とボールドでない文字はそのベクトルの絶対値を表すことが多いです.座標をベクトル で表す際に縦書きにするのは,和・差をとるときに各成分ごとの計算が見やすい事と 線形代数の分野で,行列を作用させると言う背景があるのが主な理由です. [¶]
具体的に以上で述べたことを表してみましょう. 図2において として
を考えてみます.単位をそろえないと長さが考えられないので,「七階」をメートル の単位にそろえます.ここでは一階当たり とすると七階の 高さは となります.ちょうど右手座標系の のそれぞれの正方向が東,北,真上 と対応しているので は
とかけるので
となりました.
[‡] | 右手座標系を別の見方で見ると二次元の 座標で,右が 軸の正方向,上 が 軸の正方向としたときに,紙面手前側を 軸正方向にとった座標系です. 因みに,図2でいうと東が 軸の正方向,北が 軸の正方向,真上を 軸 正方向にとった座標系です. このとき紙面奥側を正方向に取ると左手座標系になります.高校の教科書,参考書で 特にことわらずに三次元の直行座標が描いてある場合,ほとんどが右手座標系です. |
[§] | 多分この理由は で表すと何となく と に不公平だからだと思い ます.多分点までの距離を で表すことが多い関係で「ええい,これのボールドをベク トルにしてしまえぃっ!」っていう感じだと思います. |
[¶] | 高校の数学でベクトルを横書きで成分表示をするのは主に紙面の都合が大きいようです. 個人的には縦書きをお勧めします.高校の数学の問題を扱う時にも,「座標は横書き」, 「ベクトルは縦書き」と区別して書くと混同するミスも減らせると思います.実は純粋な 数学には「ベクトル」と言うものは単体としては存在せず,ある演算関係を満たすベクト ル"空間"として定義されその元としてベクトルが定義されます,その定義によると ベクトルは次元付きで定義され, 次元ベクトルとは 個の数(実数or複素数) の"組"と同一視されます.そしてそのベクトル間の線形写像と行列を作用させることが 同一視できます.数の組としては本質的には縦(書き)ベクトルも横(書き)ベクトルも 数学的には差異のない概念と言えるのですが,縦書きが主に好まれるようです. |
ベクトルの応用の分野では図形的な解釈と具体的な成分を設定した代数的な解釈と 両方の考察をする二面性を持つ分野です.ある証明は初等幾何を用いて(スカラー量 のみの取り扱いで済みます)鮮やかに解いたり,またある証明は各成分から条件を取 り出して代数的な手法で行ったり,それらを組み合わせたりして行います.ですから 今はどちらの考察をしているのか見失わないように式を追うことが重要になります.