双対空間

二つの ベクトル空間 V,V' があり, V の元を V' に移す写像 T: x \in V \ \longmapsto \ T(x) \in V' のうち,次の (1)(2) の性質を満たす写像を 線形写像 と呼ぶのでした.スカラー c は何らかの数(数の集合 K の元)だとします.

T: \ V \ \longmapsto \ V' T(x+y)=T(x)+T(y) \tag{1} T(cx)=cT(x)    \tag{2}
[*]K はなにか (たい)であると言いたいところですが,体を習っていない人もいるので「数の集合」と呼んでおきました.具体的には,実数や複素数の集合などです.

いまはまだ線形写像が何の役に立つのかよく分からないと思いますが,『ふむふむ.そんな物もあるんやなぁ』と言う感じに納得しておいて頂ければ十分です.次のセクションで線形写像の性質をより詳しく見ます.

線形写像の合成

いま,二つの線形写像 T,U を考え,その和を T(x)+U(x) \equiv (T+U)(x) と定義します.すると, T+U もやはり線形写像になっていることが示せます.実際に,線形写像の定義 (1)(2)T+U が満たすことを確認してみましょう.

[†]ここで, T はベクトル空間 V の元をベクトル空間 V' の元へ, U はベクトル空間 W の元をベクトル空間 W' の元へ移す写像だとすると, (T+U) という写像が定義されるためには,前提として V'+W' という和空間が定義されていなければなりません.ここでは,このような和空間が存在し,合成写像 (T+U) が定義可能であることを前提に話を進めています.

(1) を満たすこと】

(T+U)(x+y) &=T(x+y)+U(x+y) \\ &= T(x) + T(y) + U(x) +U(y) \\&= T(x)+U(x) +T(y) + U(y) \\ &= (T+U)(x)+(T+U)(y)

(2) を満たすこと】

(T+U)(cx) &=T(cx)+U(cx) \\ &= cT(x) + cU(x) \\&= c(T(x)+U(x) ) \\ &= c(T+U)(x)

前半の一行目と四行目では線形写像の和の定義式を使い,二行目では,線形写像の性質 (1) を使いました.後半も同様です.もう一つ,線形写像のスカラー積を c T(x) \equiv (c T)(x) と定義しましょう.線形写像のスカラー積も,やはり線形写像になります.

(1) を満たすこと】

(cT)(x+y) &=cT(x+y) \\ &= cT(x)+cT(y) \\&= (cT)(x)+(cT)(y)

(2) を満たすこと】

(cT)(ax) &=cT(ax) \\ &= caT(x) \\&= acT(x) \\ &= a(cT)(x)

線形写像のスカラー積も,やはり線形写像になっていました.むむ,加法とスカラー積がなりたつ・・・・,何かピンと来ませんか?線形写像の集合という,いわば『関数を元とする集合』を考えたとき,この集合もまたベクトル空間になりそうです. ベクトル空間 の記事で,ベクトル空間の定義を確認してください.加法の単位元を恒等写像(何にも写像しない),写像 T の逆元を -T ,スカラー積の零元を 0 ,スカラー積の単位元を 1 として,確かに 線形写像全体からなる集合はベクトル空間 になることが分かります.

[‡]深水さんと言う方から,誤りをご指摘いただきました.加法の単位元は恒等写像(これは何らかの積の単位元です)ではなく, (T+O)(x) = T(x) を満たす,写像 O の事です.深水さん,ご指摘ありがとうございました.By クロメル

Important

あるベクトル空間 V の線形写像 T,U に,加法 T(x)+U(x) \equiv (T+U)(x) とスカラー積 c T(x) \equiv (c T)(x) を定義すると,『線形写像全体からなる集合』もまたベクトル空間になります.

双対空間

前節で『線形写像全体からなる集合もまたベクトル空間になる』ことを見ましたが, V' が特にスカラーの集合(実数や複素数など)の場合,この線形写像を 線形汎関数 と呼びます.線形汎関数は,任意の V の元に一つのスカラーに対応させる写像だということです.

線形汎関数の集合,すなわちベクトル空間 V を実数 R に対応させる写像の集合もベクトル空間になりますが,これを特に V^{*} と記し, V双対ベクトル空間 もしくは 双対空間 と呼びます.

双対空間 V^{*} の元は,ベクトル空間 V の元を一つの実数に対応させる関数になっています.理解のために,ちょっと幾何ベクトルのイメージに戻って具体例を考えてみましょう. V の元は a^{1}\bm{x_{1}}+a^{2}\bm{x_{2}}+...+a^{n}\bm{x_{n}} の形で表わされるベクトルですが,これを何か一つの数,例えば a^{1} に対応させてしまう写像があれば,それは V^{*} の元だというわけです.

[§]双対には「そうつい」「そうたい」という二つの読み方があるようです.そうたいと言うと相対と紛らわしいので,そうついと読むことの方が多いようです.

双対性について

少し面白くなってきました.ここまでに勉強したことを,おさらいしましょう.あるベクトル空間と,そのベクトル空間の元に対する線形汎関数を考えたとき,そのような線形汎関数の全体もまたベクトル空間を作り,もとのベクトル空間の双対空間と呼ばれる,ということでした.

線形汎関数の全体もまたベクトル空間になる,という辺りはちょっと面白いと思いますが,そもそも『線形汎関数全体からなる集合』などというヘンチクリンな集合を考えるという発想に,何か天下り的な気持ち悪さを感じている人がいるかも知れません.しかもそれが双対だとは,一体何を意味しているのでしょうか?

[¶]双対とは,数学のあらゆる分野に顔を出す概念で,一言では定義できません.だいたいの状況としては,二つのよく似た物があり,美しい対称性によって,お互いに何かをひっくり返すと相手に変わる,というような裏表も関係にあるものを指します.例えば,正十二面体と正二十面体は,辺の数と面の数がちょうど逆の関係にあり,辺と面を入れ替えると,正十二面体は正二十面体に,正二十面体は正十二面体になります.( 正多面体群3 参照.)双対の関係にある二つの物は,どちらが主でどちらが従といった階層関係ではなく,互いに対等な裏表の関係にあり,相互に生成的です.双対という考えが最初に出てきたのは射影幾何学の分野です.双対関係にある二つの物では,片一方で定理がなりたてば,もう一方の物に関しても内容をひっくり返した定理がなりたちます.これを双対原理と呼びますが,ポンスレ( \text{Jean Victor Poncelet (1788-1867)} )やジェルゴンヌ( \text{Joseph Diaz Gergonne (1771-1859)} )は,点と面,面と点,線と線などの間に成り立つ双対性によって,図形になりたつ定理の数を一挙に二倍にしてしまいました.ここまで大量の定理を一挙に生み出した原理は,数学史上でも稀なものです.ポンスレは,ナポレオンのロシア遠征に従軍して捕虜となり,牢獄の中で射影幾何学を学んだという異色な経歴の持ち主です.牢獄の中で,図形の非常に根源的な性質以外は細かな数学の定理を全部忘れてしまっていたそうで,それが射影幾何のアイデアに結びついたのです.
[#]論理学に『対偶はまた真なり』というものがありますが,一定の類似性はあるものの,これは双対原理とは少し違うものです.
[♠]愛と憎しみ,出会いと別れ,男と女...., 演歌の歌詞は双対原理に満ちています(ToT)/~♪.
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双対のイメージ

意味から言って,『双対の双対は自分自身』のはずですから,本当にそうなっているか,双対空間の双対空間,すなわち (V^{*})^{*} を考えてみましょう.線形汎関数の線形汎関数なんてややこしく聞こえますが,これはちょっと視点を変えるだけで済むことです.

私達は, ベクトル空間 V の元 xR の元 T(x) に移す写像 T \ (\in V^{*}) を次のように定義しました.

T\in V^{*} \ : \  x \in V \ \longmapsto \ T(x) \in R   \tag{3}

ここで私達の念頭にあったのは,ベクトル空間 V 内の変数 x に対し, V^{*} の元を一つ( T とします)を取ってくると, R の元 T(x) に対応できる,という関係でした.

ここで,加害者と被害者の視点の転換ではありませんが,まったく同じ状況を次のように考えることもできます. T をベクトル空間 V^{*} 内の変数と考え.これに対し, V の元を一つ( (x) とします)取ってくると, TR の元 T(x) に対応させられると見るのです.

この見方を式に書くと次のようになります.

x\in V \ : \  T \in V^{*} \ \longmapsto \ T(x) \in R   \tag{4}

(3) と式 (4) は,全く対称な式形になっていますから,まさしく VV^{*}xT は双対だと言えるわけです.式 (4) より, V^{*} の双対空間は V だということが言えます.まさに,裏の裏は表,双対の関係になっています.

(V^{*})^{*}=V
[♥]ここに至って,最初に双対空間を『線形汎関数の集合』として定義したとき,『線形汎関数の集合だなんて,何てヘンチクリンなものを考えるんだ?』と思った人の目から鱗が落ちて欲しいものであります.確かに V の元に対して, V^{*} の元の一つ一つは写像であり,いわば関数です.ところが式 (4) の主張しているところによれば, V^{*} の元に対しては, V の元の方が線形汎関数になっているということなのです.むう.『完全にお互い様』だったわけですね.視点の変換はつくづく大切です.ベクトル空間 V は,例え個々の元にそんなつもりはなくても,双対空間 V^{*} から見れば線形汎関数という関数の集合だったのです!
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