基本法則とはなんだろう

僕たちの周りにはいろいろなルールが定められています.赤信号では止まらなければならないし,買いものするときはレジでお金を払わないといけません.これらは決められたことですが,あらかじめ知らなくても回りの人がそうしている事を見れば分かることです.

この世界にも,ルールがあります.地球は太陽の周りを一定の周期で回っているし,物を上に投げたら地面に落ちてくる.夜空の星座は規則的に動き,海では12時間ごとに潮の満ち引きが起こっている.しかしこれらのルールは,たとえば野球のルールのように誰かが定めたものではありません.でもルールがあるんです.これはもの凄く不思議ですよね.神さまでもいるんでしょうか.

自然界の場合,ルールという言い方は良くないかもしれません.野球のルールなどは数学でいう定義に近いもので,人間が決めたことです.自然界の場合はそうではなく,僕たち人間が自然を注意深く観察することによって分かった事です.これは法則です.観察によって分かった事実,状況が変わってもその奥底に成り立つ普遍的事実が,基本法則です.


その基本法則,力学に限らず物理ではいろいろな法則が登場します.最初から分かっていたかのように,「ここでこの法則を適用すると…」「なになにの法則より…」なんて言い回しが多く出てきます.そしてそれらの法則は"公式"という数式に姿を変え,僕たちの頭を悩ますことになります.

基本法則は教科書に載っていたものではありません.いや,載ってるんだけど,昔から載ってたのではないんです.僕たちが生きている前にもたくさんの人々が生活していました.その偉大な先人たちの中には世界を注意深く観察した人々がいました.そして様々な自然現象のなかに普遍的な法則を見つけました.

基本法則の発見にはものすごい努力があったはずです.考えて,工夫して,また考えて.そして先人が基本法則を発見した喜びは,僕たちには分からないくらいの興奮だったでしょう.それが今では教科書をめくることで簡単に分かるようになっています.だから僕たちには発見の喜びなんてあまり味わえないのかもしれません.しかし理解する喜びはまだ残されています.


かの有名なガリレオは「自然の書物は数学の言語によって書かれている」という名文句を言っています.ガリレオは物理学の産まれる黎明期に生きた人ですが,その時代は教会が支配しいて聖書に神の言葉が全て書かれ,世界もそれに従ってると多くの人が考えていました.

そんな中でガリレオの考えはまさに異端だったわけですが,現代ではまさに的を射ています.ただ,彼の時代には数学が十分発達しておらず,統一された基本法則の発見は後のニュートンの時代まで持ち越されています.ニュートンとライプニッツが微分積分という考えをつくったおかげで,より自然の書物が読めるようになったんです.

日本の偉大な物理学者,朝永振一郎 [*] は物理学を「われわれの周囲をとりまく自然界に生起するもろもろの現象 − ただし主として無生物にかんするもの − の奥に存在するであろう法則を,観察事実を拠りどころを求めつつ追求すること」であると要約しています.

[*]余談ですが"朝永振一郎",読めるでしょうか.物理に興味のない友人に聞いてみたら(ネタに使ってすいません),しばらく悩んだ末「"あさながふるいちろう"?」「あ,違う"あさながふりいちろう"!」と言っていました.ふるいちろうでもふりいちろうでもありません.ともながしんいちろう,日本で二番目のノーベル物理学賞受賞者です.

物理学は観察を拠りにするので,しばしば大発見があり,基本法則がガラっと変わってしまうことがあります.間違いやより良い理論があればどんどん修正されて行く学問です.量子力学の発見しかり,相対性理論の発見しかりです.でも安心してください.ガラっと変わってもこれまでの考えが全く使えなくなるわけではなく,使える領域が変わるだけです.たとえば量子力学は極微の世界で,相対性理論は光速の世界で,力学は人間の生活するスケールでという具合です.これからも新しい基本法則が発見されるかもしれません.