無限小回転1

剛体の回転を勉強するとき,無限小回転という考え方が出てきます.回転角が無限に小さい回転を無限小回転と呼ぶのです.しかし,回転が無限に小さかったら,いつまでたっても全然回りませんね.どうして,こんな回転を考えるのでしょうか.潔く,グルリと回してしまったらいけないのでしょうか?回転について少し考察を深めてみようというのが,この記事の目的です.順序として,まず剛体の有限回転(回転の大きさが無視できない回転)について考えます.その後,有限回転と比較しながら,無限小回転に特有の特徴を考えます.このページを読み終わったら,そのまま 無限小回転2 へ進んでください.二つ合わせて一つの内容になっています.

有限回転

まずは次の図を見てください.剛体に,右にグルリと90度倒す回転と,180度ひっくり返す回転を連続して行った様子を描いたものです.同じ回転なのに,順序を変えただけで,結果が違ってしまっています!!

Joh-Panda1.gif

このように,回転という操作は,一般的に順序を入れ替えると結果が違ってしまうのです.順序が変えられないということを,数学では『非可換である』と言います.

剛体の向きをベクトルで表すことにすると,ベクトルに回転行列を掛けることによって,ベクトルの回転,すなわち剛体の回転を表わすことができます. [*]

では,パンダの図で行った回転を,ベクトル (a,b,c) と行列を使って表現してみましょう.移動したあとのベクトルを (a',b',c') と名づけておきます.回転行列を忘れてしまった人は,この機会に 回転行列 を復習してみて下さい.とりあえず,回転行列を忘れてしまっていても,今この記事をざっと読むのには差し支えありません.

まずは,ベクトル (a,b,c)y 軸回りに 90 度回転させ,それから z 軸回りに 180 度回転させます.

\left(     \begin{array}{ccc}     a' \\     b' \\     c' \\     \end{array}   \right) &=   \left(     \begin{array}{ccc}\cos  180^{o}       & -\sin 180^{0}  & 0 \\\sin 180^{o}    &  \cos 180^{0}   & 0 \\0                                &  0                     & 1 \\     \end{array}   \right)      \left(     \begin{array}{ccc}\cos  90^{o}        & 0     & \sin 90^{0} \\0                               & 1             & 0                       \\-\sin  90^{o}       & 0     & \cos 90^{0} \\     \end{array}   \right)   \left(     \begin{array}{ccc}     a \\     b \\     c \\     \end{array}   \right) \\&=   \left(     \begin{array}{ccc}-1 & 0 & 0 \\0  & -1 & 0 \\0 & 0 & 1 \\     \end{array}   \right)   \left(     \begin{array}{ccc}0 & 0 & 1 \\0 & 1 & 0 \\-1 & 0 & 0 \\     \end{array}   \right)   \left(     \begin{array}{ccc}     a \\     b \\     c \\     \end{array}   \right) \\ &=   \left(     \begin{array}{ccc}     -c \\     -b \\     -a \\     \end{array}   \right) \tag{1}
Joh-FiniteRot1.gif

今度は先に z 軸回りに 180 度回転させ,しかる後に y 軸回りに 90 度回転させるという回転を表してみましょう.行列の順序を入れ替えただけです.

\left(     \begin{array}{ccc}     a' \\     b' \\     c' \\     \end{array}   \right) &=   \left(     \begin{array}{ccc}\cos  90^{o}        & 0     & \sin 90^{0} \\0                               & 1             & 0                       \\-\sin  90^{o}       & 0     & \cos 90^{0} \\     \end{array}   \right)   \left(     \begin{array}{ccc}\cos  180^{o}         & -\sin 180^{0}  & 0 \\\sin 180^{o}    &  \cos 180^{0}   & 0 \\0                                &  0                     & 1 \\     \end{array}   \right)   \left(     \begin{array}{ccc}     a \\     b \\     c \\     \end{array}   \right) \\&=   \left(     \begin{array}{ccc}0 & 0 & 1 \\0 & 1 & 0 \\-1 & 0 & 0 \\     \end{array}   \right)   \left(     \begin{array}{ccc}-1 & 0 & 0 \\0  & -1 & 0 \\0 & 0 & 1 \\     \end{array}   \right)   \left(     \begin{array}{ccc}     a \\     b \\     c \\     \end{array}   \right) \\ &=   \left(     \begin{array}{ccc}     c \\     -b \\     a \\     \end{array}   \right) \tag{2}

予想通り!回転の順番を変えただけで結果が違ってしまいました.数式で書くと,途端に頭が痛くなってくる人がいるかも知れませんが,どうか難しく考えないで下さい.先ほど図で見たパンダ(謎)の回転を式で表してみただけなのです.『回転は順番が大事なんだ』ということだけ頭の隅に覚えておいて下さい.細かい式は気にしなくて大丈夫です.

[*]回転操作の非可換性は,行列の積が非可換である(行列 A , B に対し,一般には AB \ne BA である)ことと対応しているわけです.一般に回転行列は,すべて直交行列です.直交行列とは,転置行列が逆行列になっているような行列のことでした.回転は 四元数 を用いて表現することもできます.四元数の積も,もちろん非可換になっています.

無限小回転

それでは,回転の角度が非常に小さいの場合を考えてみましょう.回転行列 A によって微小回転を表現します. A の表す回転は大変に小さいので,単位行列 E と微小回転部分 \varepsilon ( \varepsilon の二次以上の積は無視できる)を用いて A=E+\varepsilon と表現できるとします.では,二つの微小回転 A_{1}A_{2} を連続して行うことを考えて見ましょう.

A_{1}A_{2} = (E+\varepsilon_{1})(E+\varepsilon_{2})=E+\varepsilon_{1}+\varepsilon_{2} +\varepsilon_{1} \varepsilon_{2} \simeq E+\varepsilon_{1}+\varepsilon_{2}
A_{2}A_{1} = (E+\varepsilon_{2})(E+\varepsilon_{1})=E+\varepsilon_{2}+\varepsilon_{1} +\varepsilon_{2} \varepsilon_{1} \simeq E+\varepsilon_{2}+\varepsilon_{1}

行列の積は非可換でしたが,行列の和は順番を変えても良かったことを思い出してください.(一般に行列 A , B に対し, A+B=B+A が成り立ちます.)すると,結局 A_{1} A_{2} =A_{2}A_{1} が成り立ちます.『微小回転においては,回転の順番を交換できる』と言えるわけです. [†] これはもう,回転角が大きいか小さいかというだけの問題ではありません.『可換』と『非可換』とは,数学的に,天と地ほどの違いがあるのです."無限小回転は数学的に全く違う性質を持つのだ"と思ってください.読者のみなさんにおかれましては,どうかこの感動を,しばしゆっくりと味わって頂きたいと思います.

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[†]行列を微小量 \varepsilon で表しましたが,行列が微小とはどういうことなのか,この表記について気になった方がいらっしゃるかと思います.ベクトルに行列を掛けると,一般にはその長さと角度が変化を受けますが,ここでは行列 A=E+\varepsilon による変化が,長さについても角度についても,二次以上の項が無視できるほど微小なのだ,ということです. \bm{r'}=(E+\varepsilon)\bm{r} と置きますと, \delta \bm{r}=\bm{r'}-\bm{r}=(E+\varepsilon ) \bm{r}-E\bm{r}=\varepsilon \bm{r} と表されますので, \delta \bm{r}\cdot \delta \bm{r} = \varepsilon^2 ( \bm{r} \cdot \bm{r}) が成り立ちます. \bm{r} \cdot \bm{r} は微小量ではありませんから,結局,『ベクトルの変化 \delta \bm{r} の高次の微小量が無視できる』ということを,形式的に『行列 \varepsilon の高次の微小量が無視できる』と言い換えられるわけです.

もう一度,パンダを回してみましょう.先ほどと同じ向きに回しますが,今回,回す角度をほんの少しだけにしておきます.回転の順番を変えても,結果がほとんど同じだということが見て分かります.

Joh-Panda3.gif

練習問題

次の行列 A , B に対し, \theta , \phi が二次以上の項を無視できるような微小量ならば, AB=BA が成り立つことを確認してみて下さい.

(ヒント)微小量 \theta に対して \sin \theta \simeq \theta , \cos \theta \simeq 1 を使いましょう.

A=   \left(     \begin{array}{ccc}\cos \theta & -\sin \theta & 0 \\\sin \theta & \cos \theta & 0 \\0 & 0 & 1 \\     \end{array}   \right)
B=   \left(     \begin{array}{ccc}\cos \phi & 0 & \sin \phi \\0 & 1 & 0 \\-\sin \phi & 0 & \cos \phi\\     \end{array}   \right)

無限小回転を表す行列

一般に,回転という操作の順番を変えるわけにはいきませんが,無限小回転の場合に限って順番を変えても良い,ということでした.もう少し,このことの考察を進めてみましょう.

Joh-IR7.gif

微小な回転によってベクトル \bm{r}\bm{r'} に移されたとしましょう.このとき,上の図を見れば, \bm{r'}=\bm{r}+\delta \bm{r} と書けることが分かると思います.

ベクトル \bm{r}\bm{r'} に移す変換を,行列 A を用いて \bm{r'}=A\bm{r} と表わすことにします.ベクトルの微小変化 \delta \bm{r} を,行列 \varepsilon を用いて \delta \bm{r}=\varepsilon \bm{r} と表すことにすれば, \bm{r'}=\bm{r}+\delta \bm{r}=(E+\varepsilon )\bm{r} ですから, A は次のように書けるでしょう.

A=E+\varepsilon

この段階では,行列 \varepsilon がどのような形をしているかまだよく分からないので,とりあえず成分を次のように書いておきます.未知の成分が現段階で 9 つあることを確認しておいて下さい.

\varepsilon=   \left(     \begin{array}{ccc}\varepsilon_{11} & \varepsilon_{12} & \varepsilon_{13} \\\varepsilon_{21} & \varepsilon_{22} & \varepsilon_{23} \\\varepsilon_{31} & \varepsilon_{32} & \varepsilon_{33} \\     \end{array}   \right)

いまから行列 \varepsilon の形と成分を,もう少し詳しく考えてみます.道具として使うのは A の逆行列と, A が回転を表す行列なので直交行列であるという性質の二つです.

まず A=(E+\varepsilon) の逆行列ですが,これは A^{-1}=(E-\varepsilon) です.ちょっと天下り的ですが,確かに次のように AA^{-1} を掛け合わせてみれば単位行列 E になることから確認できます. \varepsilon の自乗が無視できることに注意して下さい.

AA^{-1}=(E+\varepsilon)(E-\varepsilon)=E+\varepsilon-\varepsilon-\varepsilon \varepsilon = E

一方, A は回転を表す行列ですから,直交行列です.直交行列というのは,転置行列が逆行列になっているような行列のことを言うのでした.つまり A^{t}=A^{-1} が成り立つはずです.( A の転置行列を A^{t} で表します.一般に行列の和と転置行列に関して (A+B)^{t} = A^{t} +B^{t} が成り立つことを使います.ここでは,証明はしませんので,よく分からない人は線形代数を復習してみてください.) A=(E+\varepsilon) の転置行列を考えてみましょう.

A^{t}=(E+\varepsilon)^{t}=E^{t}+\varepsilon^{t}=E+\varepsilon^{t}

よって, A^{t}=A^{-1} より, E-\varepsilon=E+\varepsilon^{t} が言えます.両辺から E を引けば次の関係式が得られます.

\varepsilon = -\varepsilon^{t}

これを行列 \varepsilon の成分で直接考えれば,次のような関係がなりたっているということです.

\left(     \begin{array}{ccc}\varepsilon_{11} & \varepsilon_{12} & \varepsilon_{13} \\\varepsilon_{21} & \varepsilon_{22} & \varepsilon_{23} \\\varepsilon_{31} & \varepsilon_{32} & \varepsilon_{33} \\     \end{array}   \right)=\left(     \begin{array}{ccc}-\varepsilon_{11} & -\varepsilon_{21} & -\varepsilon_{31} \\-\varepsilon_{12} & -\varepsilon_{22} & -\varepsilon_{32} \\-\varepsilon_{13} & -\varepsilon_{23} & -\varepsilon_{33} \\     \end{array}   \right)

両辺の成分を一つ一つを見比べて, \varepsilon の形を次のように決めることが出来ます.簡単のため, \varepsilon_{12}=-r, \varepsilon_{13}=q, \varepsilon_{23}=-p のように置きました.

\varepsilon=\left(     \begin{array}{ccc}0 & \varepsilon_{12} & \varepsilon_{13} \\-\varepsilon_{12} & 0 & \varepsilon_{23} \\-\varepsilon_{13} & -\varepsilon_{23} & 0 \\     \end{array}   \right)\equiv\left(     \begin{array}{ccc}0 & -r & q \\r & 0 & -p \\-q & p & 0 \\     \end{array}   \right)

このような形の行列を反対称行列と呼びます.( p,q,r の並べ方と,マイナスのつけ方ですが,実はちょっと訳あって,このようにしました. 無限小回転2 でじきにこの理由が分かります.楽しみに待っていてください.フフフ)

これは非常に感動的な結果です.一般に,3次元のベクトルに行列を作用させて有限回転を表現するには 3 \times 3 の行列が必要で, 9 つの成分を決める必要があったわけです.ところが,微小回転ではたった 3 成分で済むというのですから,計算の労力が一気に三分の一に減ってしまったのです!!

( 無限小回転2 へつづく)