分数の割り算1

小学校の割り算で一番難関なのは,分数の割り算でしょう.例えば,次のような割算を考えます.

\frac{3}{4} \div \frac{2}{7}

学校では,こういうときは後ろの方を分母・分子ひっくり返し,掛け算に直して解けばいいと習います.

\frac{3}{4} \div \frac{2}{7} = \frac{3}{4} \times \frac{7}{2} = \frac{3 \times 7}{4 \times 2} = \frac{21}{8}

このような掛け算に直す操作を暗記すれば,とにかく計算操作としての分数の割り算を乗り切ることは出来ます.しかし「分数で割るってどういうことなんだろう?」という点に,もやもやが残った人が多いのではないでしょうか.この記事では,そんなもやもやに焦点を当ててみます.

割り算の解釈

割り算の意味を日本語の文章に直したときに,どのように解釈するかを最初に考えましょう.まず, A \div B を「 AB 個に割ったもの」と解釈する流儀があります.例えば, 8 \div 2 ならば「 82 つに割ったもの,つまり 4 」と考えるわけです.具体例で考えたい人は,「 8 個のおまんじゅうを 2 組に分けると, 4 個ずつになる」のように,個や組といった言葉を補って読めば良いでしょう.答えが割り切れない場合,例えば 7 \div 3 というような割り算でも,「 7 つのおまんじゅうを無理矢理 3 人で公平に分けようとする場合に,一人あたりの分け前」だと考えれば,計算の意味自体は分かると思います.

Important

A \div B = C ⇔ 「 AB 個のグループに分けるとき,ひとつのグループ当たり C 個になる」

[*]おまんじゅうのように個数のはっきりしているものを例にとると,「 7 つのおまんじゅうを 3 つに分けるって,どうやるの???」と,ここでつまづいてしまう人がいるかも知れません.そんなときは,おまんじゅうはやめて,粘土のように,くっつけて練り直せるものを考えましょう. 7 個の粘土球を練り合わせて,まず大きな粘土球を一つつくり,これを上手に 3 つに切り分ける操作なら,無理なく想像できると思います.実際,とても食欲を失う方法ですけれども,おまんじゅうだってムチャクチャにこねあわせて,ぐちゃぐちゃの団子状にして,それを計って切り分ければいいのです.おまんじゅうを美しく配膳することは家庭科の調理実習では考えなければなりませんが,数学では,見た目や食欲を配慮する必要はまったくありません.

少し回りくどい日本語を使いましたが,小学校で一番最初に割り算の意味を習うときには,だいたい上のような説明を最初に受けるようです.

しかし,この流儀だと, A \div BB1 以下の場合に,日本語の意味がよく分からなくなってきます.例えば,「 2 つのおまんじゅうを, 0.25 個のグループに分ける」と言われても,日常の日本語としては意味不明です.そこで, A \div B を「 A の中に B が何個入るか」と解釈することにします.そうすれば,例えば 2 \div 0.25 ならば, 2 の中に 0.258 個入ることはすぐに分かりますので, 2 \div 0.25=8 が納得できます.結局は同じことなのですが,式の読み方をちょっと変えると,分かりやすくなります.

Important

A \div B = C ⇔ 「 C とは, A の中に B が何個入るかだと考える」

[†]宮崎駿監督の「おもひでポロポロ」という映画で,主人公の子供時代の回想シーンの中に,分数の割り算がどうしても分からなかったという一幕がありました.「1つのリンゴを, 1/4 個に分けるってどういうことなんだろう?」のようなセリフがあり,主人公の姉も「考えないで暗記すればいいの!」と,自分もよく分かっていないことを暗示する高圧的セリフを言っていました.リンゴをナイフで等分していくようなイメージ,つまり最初に掲げた割り算の解釈で考える限り,このような割り算がイメージできないのは当然のことです.しかし二番目の解釈法で,「一個のリンゴの中に, 1/4 個のリンゴはいくつ入るか」と考えれば,答えはすぐに 4 つと分かります.

ここまでのお話が分かった人のために,ここでひとつ問題です.

【問題】 8 \div 2 = 4 の解釈として, 『 8 個のものを 2 個ずつ分けると 4 人に配れる』と,『 8 個のものを 2 人で分けると 4 個ずつもらえる』と考えるのは,どちらが正しいでしょうか.
Joh-ElmDivision1.gif

answer

実はこの解釈はどちらでもいいのです.私達が数学で扱っているのは,「個」「人」といった単位のついていない,『数そのもの』です.問題文の,個・人などは,日本語の文章として読みやすくするために勝手に入れたものに過ぎません.現実の世界で私達が目にする数には,必ずなんらかの単位がついていますので,数式を具体的に考えるということは,勝手に単位を補う作業であると言っても良いかも知れません.他にも『 8 \ km^{2} の土地を 2 つの国で分けると 4 \ km^{2} ずつ領土が増える』『 8 人の歌手グループが事務所の都合で 2 つのグループに分かれ, 4 人ずつになった』等々,色々な状況を同じ数式に考えることが出来ます.重要なのは,これらの文章は数学的には全て同じであり,日本語の解釈の方にブレがあるという点です.数式を理解するために,具体的な状況を日本語で考え直してみるという作業は有効ですが,逆にいつまでも具体例だけの世界にいると,数式の汎用性・一般性を狭めてしまうことになります.数学の強みは,その抽象性にあるのです.せっかくの数式を具体例に引き下げて狭めてしまうのではなく,むしろその抽象性を楽しめるようになりたいものです. 8 \div 2 =4 という式も,無限に多くの様々な具体例を表現し得る抽象的な式なのであり,問題文で触れられていた例は,そのうちのたった二つの具体例に過ぎません.

[‡]本稿では,割り算を日本語に翻訳する際の構文として二種類のものを紹介しましたが,重要なことは,この二つの解釈が数学的には結局は同じことを主張しているに過ぎないということです.分数の割り算の意味を考えるときに,最初の解釈ではなく,二番目の解釈を使った方が簡単だというのは,日常の日本語ではそのほうが自然に意味が通りやすいというだけのことで,数学ではなく国語の問題です.オーストリアの哲学者ウィトゲンシュタイン \textit{(Ludwig \ Josef \ Johann \ Wittgenstein, \ 1889-1951)} は,「母国語による思考の限界は,世界観の限界である」(Die Grenze der Sprache is die Grenze der Welt.)という言葉を残しましたが,たしかに日本語は必ずしも数学的に設計されているわけではないため,日本語で考える限り,その日常的用法に引きずられて数学的な世界までも制限されてしまう場合があります.分数の割り算で多くの小学生が引っ掛かるのは,そのような一例でしょう.平易な日本語への解釈に失敗したとき,私達は「だから数学は難しい」と結論しがちですが,日本語への翻訳法を少し工夫すれば,明快に意味が分かる場合もあるのです.数学に限らず,私達が難しいと感じるものの中には,概念そのものが難しいというよりも,日本語への翻訳に失敗している例が多くあります.